わたしの愛するロンドンは、ギリギリの記憶と知識のなかで輝いている。
去年の今頃、何年かぶりにカムデンタウンに行ったのだが、その変わりように悲しくなった。その昔も観光客相手の店はあったが、それとは比にならないくらいにハイストリートには観光客相手の店が立ち並び、なんかよくわからない、いかがわしいマリファナの葉っぱ柄の包み紙のキャンデイ、Tシャツが店先に並び、チープな素材のバンドTシャツがそこら中で売られ、安っぽいスマホケースの店、安っぽいジュエリーが観光客価格で売られている。
ステイブルマーケットの石畳だけが、確かにわたしはここにいた。と思わせてくれた。
アンダーグラウンドカルチャーによって知る人ぞ知る街が、徐々に人々に知れ渡り、観光地になり商売っ気だけになると、その街の本来の意味は消滅する。もといた人たちは去り、そして違うタイプの人たちが押し寄せる。人々が変わると街の顔も変わる。ジェネレイションも変わるともっと変わる。その昔は、徐々に知れ渡ったが、ネット時代の到来で情報の伝達スピードは半端ない。
街は生きている。変わる。どんどん変わっていく。
60、70年代の音楽、ファッション、ムーブメントに憧れ、イギリスの地を踏んだ二十数年前。追い求めた憧れは、過ぎ去りし日の思い出だと現実を突きつけられるが、まだ、その名残はあった。確かにあった。キングスロードは廃れ、ヴィヴィアン本店だけが目立っていたし、カーナビーストリートはもうすでに観光地になっていたけれど、その憧れのかけらを探してはワクワクしてた。ブリックレーンやカムデンタウンが最後の砦だったようにも思う。
が、それも区画整理されおしゃれっぽくなり観光地となってしまった。
その後、街はできたか?
移民の町や、駅ビルの開発町づくり、どこの駅に降り立っても同じ作りのカフェチェーン店、服屋、サンドイッチ屋、バーガーチェーン店が並ぶ都市計画で造られるおしゃれな町は出来ただろう。
町はできたけれども、街はできたのか?若者が自然に集まってムーブメントを起こすようなエキサイティングな街はあれから生まれたのだろうか?
古い人間のわたしが知らないだけかもしれないが。
わたしが住みたかった街は60年代70年代のロンドン。スウィンギンロンドンの60年代とヒッピーの70年代のロンドンに住んでみたかった。音楽、ファッション、アート、映画、全てがテクニカラーでキラキラ輝いている。60年代のイギリスの映画のように、ボンネットバスに飛び降り、飛び乗りが出来たのは本当にギリギリの大切な記憶。
ちょっと遅く生まれてきたためにそこに住むことは叶わない。けれど叶わなくてよかったと思う。その街の小さなかけらを見つけてギリギリの記憶と知識で妄想を膨らませている方がガッカリしないからだ。
懐古主義の古い人間の戯れ言だと鼻であしらってもらってもかまわない。
確かにそのような時代があったと、当時の写真や映像を観ながら、今となっては幻とも思える、妄想と幻想のロンドンへ胸いっぱいの愛を捧ぐのである。
書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街