今回は、
映画について熱く語る。
終戦の日のこの日に
1990年の日本映画「少年時代」について語らせてくれ。
長くなるどー。ネタバレ注意。
映画「少年時代」は名作中の名作だとふぉざちゃんは思う。日本人ならば観てほしいと思う。
ストーリーは、第二次世界大戦中の日本。東京の裕福な家庭で育った小学5年の風間進二が終戦までの約1年間、富山の伯父の家に疎開する。疎開先の学校でガキ大将だけれども勉強は出来る大原武とその取り巻き集団からいじめに遭うも、大原くんはなぜか学校外、一対一だといつも進二に優しい。そんな大原くんに困惑の進二なのだが、、、
とまあ、よくありげなストーリーなんですが、
これがまあ、いろんな角度から観ること考えることができ、むふむむと、なんとも奥の深い映画なんですよ。マジ名作だわ。
語ることがたくさんあり過ぎてどこから始めて良いのかわからんけど、作中に散りばめられているエッセンスを感じることができれば、そしてその意味が解ればスルメのように噛めば噛むほどよい味のでる素晴らしい映画だということがわかる。
何度も観たけけど、観る度に新しい発見があるこの映画。
無駄なカットいっこもない。良き映画とは、このような映画のことだと思う。
富山の地元の人も出ていて、アフレコも酷く、準主役の地元のガキ大将、大原武役は滑舌も悪く素人丸出しなんだけれど、そこがリアル感が有り魅力的でこの作品を優秀にしていると思う。
この映画を最初に観て思ったのは、
なんだこの違和感。
だった。
なんなのだ、この違和感は。東京もんの進二が田舎に来て土地に馴染めないとう感じの違和感と共に、作中にいつも漂う噛み合ってない感。それが進二の表情によりヒシヒシと伝わって来る。
噛み合ってない。
みんな噛み合ってないのだ。
それを象徴しているのは進二の半分ボケたおばあちゃん。
この映画、一見して、進二が主人公で、疎開した時の進二の少年時代の物語だと思うが、
実はこれは、
大原くんの少年時代のストーリーなんですね。
それは、比喩的に表現した日本の日本国の少年時代のストーリーなんですよ。大原くんは日本国なんです。言い切る。
そう言う見方もできるなと。
全体主義と個人主義。
そして、大原くんにヒタヒタと忍び寄るもう一つの主義。
病気療養から復帰してきた須藤にリーダーの座から引きずり降ろされボッコボコにされる大原くん。
今まで大原くんの家来にされてた子たちは、新しい体制の須藤の下でもいじめられる。もっともっと酷い方法で。
世の中戦争がドンパチ行われている中、疎開先のちいさな田舎の学校でも戦争は起きていて、子どもたちにとっては遠い戦争より学校生活での戦争がより脅威的で死活問題。
この映画、ちらっと出てくるアイテムこそが重要。見逃してはならぬのだ。
●戦艦陸奥
進二が疎開する際に父親にねだってもらった戦艦陸奥のバックル。何故に戦艦陸奥なのか。絶対に意味があるはずと調べてみた。戦艦陸奥でなければならない作り手の思いがそこにあると見た。
●山本五十六
大原くんの部屋に貼っているポスターは山本五十六元帥。真珠湾攻撃を指揮した海軍軍人。けれどもアメリカとの戦争は反対派だった。日独伊三国同盟には最後まで反対した。水から燃料を作る技術を推していた。逆立ちが得意。
愛読書は万葉集。
●久松潛一の書物
クレジットのいちばん最後のシーン。
進二と大原くんの記念写真のバックグランドにちらっとほんの一瞬映り込む書物。
この久松潛一の書物で、この書斎は、後の大きくなってからの大原くんの書斎部屋だということがわかる。大原くんは進二に大きな影響を受けて作家になったと見た。
久松潛一は万葉集の研究者。
進二は、裕福な家庭で育ち、なに不自由なく学問もでき、大好きな本も手に入る。物に不自由のない純粋な心の進二。
それは、当時のこの映画が作られたときの1990年代を生きる日本人ではないだろうか。そして大原くんは戦時中の日本なのだ。
そんな進二が戦時中の大原くんと噛み合うはずがないと。
なので、作中、ずっとずっと、不可解な、よくわからない顔をする進二。
わからないですよ。全く。
これは多分ですが、この映画を観たほとんど人が進二の心境なのではなかろうか。
といういうのを見越しての作り手の演出かも。
「君ら、学校で教えられてないことや忘れさらている何かを自分で勉強しろよ。もっと知って日本人であることに誇りを持て」というメッセージかもしれない。
最後のシーン、井上陽水さんの歌「少年時代」をバックに進二の乗った列車を全速力で追いかける大原くん。遠ざかる列車の車窓に進二を見つけ、ヒットラー風の敬礼をする大原くん。尊敬の感情を最大限に表す仕草は学校で観たナチスドイツのフィルムのそれしか知らないのだ。
それを見た進二は何やってんだアイツ?的な不思議そうな顔をする。
最後の最後まで噛み合ってない。
でも、何やってんだあいつ的な顔から、ふっと進二の口元が緩む。
進二の疎開先で起きた嫌な事が浄化された瞬間。
進二役の子役の演技、終始はてなマークの顔の表情の演技が素晴らしい。
世の中、噛み合ってないまま大抵は勘違いで、その個々の人びとの解釈で、もっと言えば、みんな自分のことしか考えてなくて、小さな事柄も大きな事柄もどんどん大きな歯車となって進んでゆく。それはいつの世も同じではなかろうか。
でも、わかり合える瞬間はあるってこと。
進二にとっての富山の疎開生活は、いじめられて超辛かったけど、大原くんに最後に会えて良かったな。くらいの思い出だろう。
だけど、
大原くんは進二に出会うことで、多大なカルチャーショックを受け、そして進二に対して恋のような憧れのような男が男に惚れるよな感情を抱くのだ。
それはまるで、
映画「戦場のメリークリスマス」のセリアズとヨノイ大尉の関係のような、そして
ミスターロレンスの言葉を借りて言うならば、セリアズ(進二)は種を巻く人で、ヨノイ大尉(大原くん)は種を育てる人。
今回、また観て新たな発見があった。
芯の強い人が声を出して号泣する時は悲しい時や、辛い時、酷い仕打ちを受けたときではなく、
どうしていいか自分でもわからなくなった時。どうしようもない感情にぶち当たった時。
いつも寡黙な伯父さんが敗戦の知らせに声を出して泣き崩れる。
大原くんは、リンチを受けてボッコボコにされても泣かなかったけど、進二を前にどうしようもない感情に進二をボコりながら声を出して泣いてしまう。
ふとしくんのねえちゃん(仙道敦子)も愛する人のためどうしようもない状況に泣き叫び狂う。
そして進二は、最初はいじめられてしくしく泣いたり、東京の母(母役の岩下志麻の美しさったら半端ない)からの手紙に涙したりしたけど、後半、母が迎えに来た時は泣かなかった。声を出して伯父さんに泣きついたのは、突然明日東京に帰る事になって、多分、色んな感情が湧き上がってどうしていいかわからなくなったからだと思う。
疎開先の富山で芯の強さを身につけ進二は成長したのかもしれない。
いやー、この映画、本当に面白い。
大原くんが戦争中の日本で、進二がこの映画が作られた1990年の裕福なイケイケ時代の日本だとしたら、今の時代の日本はどんなだろう。どんな少年時代を送っているのだろう。
大原くんのように、新しいリーダー須藤たちにフルボッコにされガン無視されても、「オレは、ちっとも可愛そうじゃない」と胸を張って言えるか?
進二のように「オレは、取り入ってなんかないっ!!」と海に向かって叫べるだろうか?
皆さん、是非是非
映画「少年時代」を観てください。そして感想をお聞かせください。ワタクシが気付いていない新しい発見があるかも。
富山の美しい四季の風景も楽しめます。
あ、
今ふと思った。
撮影ロケ地のあの美しい富山の田園風景に、現在はメガソーラーパネルが設置されていないか心配になった。。。